
私は現在、HSPの方や、心に悩みを抱えている方、うつやパニック障害などの心の病気を抱えている方のカウンセラーとして活動しています。
私がこの道を選んだのは、実際に私自身がHSP気質から、うつ病やパニック障害、不安障害を経験したからです。
私はもともと、物事を深く考えすぎたり、些細なことを気にしすぎたりする性格でした。
また、完璧主義な傾向もありました。
そのような性格が影響し、私はこれらの病気を発症しました。
当時は非常に辛く、回復のきっかけをつかむまで、人に頼ったり相談したりすることがなかなかできずに苦しんでいました。
「人に頼ったり相談したりするのは相手にとって迷惑なのではないか」と思っていました。
少し長くなりますが、読んでいただけると幸いです。

1. 「頑張らなければならなかった」学生時代
私は小学生の頃から陸上やバスケットボールのクラブに入り、運動が大好きな子どもでした。
中学では陸上部の長距離に本気で打ち込み、毎日努力を重ねました。
高校でも陸上部で長距離を続け、勉強と部活の両立に励みました。
努力することが当たり前になり、負けず嫌いな性格も強くなっていきました。
大学ではリハビリ職の学科に進学し、勉強に追われる日々を送りながらも、時には友人と遊ぶこともありました。
しかし、この頃から繊細な面や完璧主義な傾向がより強くなっていきました。
幼い頃から両親に
「考えが甘い」
「もっと考えろ」
とよく言われていました。
そのため
「人一倍頑張らなければならない」「もっと深く考えなければならない」と
「自分は強い人間でなければならない」
そんな思い込みがあり、誰かに助けを求めることができなかったのだと思います。
ここからお話しするのは、私がどのようにして今の人格を形成し、病気に至ったのか、
そして闘病生活や仕事・日常生活における生きづらさについてです。
常に自分を追い込むようになりました。
特に大学受験の時期、私は部活動を夜遅くまで続けており、勉強の時間がほとんど取れませんでした。
しかし両親からは、「お金がないから私立の大学には行かせられない」と言われ、
滑り止めの大学を受験することも許されませんでした。
国公立大学一校のみの受験という状況に、プレッシャーはさらに大きくなりました。
結局、現役での合格は叶わず、浪人生活を送ることになりました。
浪人時代は、「不合格になることは許されない」という強いプレッシャーの中で勉強を続けました。
その影響で、毎晩のように悪夢を見るようになり、心がえぐられるような苦しみを抱えながら勉強に励みました。
「頑張らなければならない」
その一心で必死に勉強を続けた結果、なんとか合格することができました。
しかし、それが私の苦しみの始まりでもありました。
大学では、医療系の学部だったため病院実習がありました。
実習では課題や指導の厳しさに加え、パワハラとも取れるような扱いを受けました。
「評価されるためにもっと頑張らなければ」と、寝る間を惜しんで取り組みました。
しかしある日、実習へ向かう電車の中で突然倒れ、過呼吸を起こしてしまいました。
実習先が総合病院だったため、唯一優しくしてくれた方に勧められ、精神科を受診しました。
そこで診断されたのは、パニック障害と不安障害でした。
その後、実習の継続は認められず、不合格が決定。
留年が決まってしまいました。
この時、私は人生で初めての挫折を味わいました。
「まさか自分がこんなことになるなんて……」
その時のショックは、計り知れないものでした。

2. 新入社員としての入職からうつ病発症まで
大学を卒業し、新入社員としてリハビリ病院に勤務し始めました。
最初は上司からさまざまなアドバイスをいただきながら業務を行っていましたが、業務量が非常に多く、毎日余裕のない状態でした。
私は、「ミスをしてはいけない」
「患者さんにもっと良いリハビリを提供したい」という思いから、
自宅に帰っても仕事のことが頭から離れず、夜にわずか2時間ほどしか眠れない状態が半年間続きました。
ミスをしたら自分が否定されるような気がして、心臓を鷲掴みにされるような不安と息苦しさの中で仕事をしていました。
入社して半年ほど経ったある日、朝礼中に突然倒れてしまい、そのまま寝たきりの状態になりました。
職場と病院から休職を言い渡され、診断の結果「うつ病」と告げられました。
休職後、自宅にいても「何かに常に追いかけられている」感覚があり、全く休めませんでした。
独り暮らしだったこともあり、寝たきりの状態に加え、横になっていても常に不安と苦しさに襲われました。
さらには、頭の中に常に言葉が浮かんでくるようになり、思考が止まらず、ザワザワとした地獄のような日々を送っていました。
このことを担当医に相談すると、入院を勧められ、そのまま入院することになりました。
入院を経て復帰後、仕事は一見順調に進められていました。
しかし、「頑張らなければならない」という気持ちが強く、無理を続けた結果、うつ病の症状が再発。
その苦しさの中で、自殺未遂をしてしまうこともありました。

3. 転職を繰り返しながら病気の症状と葛藤する日々
その後、リハビリ病院を退職し、より業務量の少ない職場へと転職しました。
しかし、私は常に人の顔色を窺い、頑張ることをやめることができませんでした。
出勤前になると、「暗い渦のようなもの」が心の中にまとわりつき、職場へ行くことができなくなってしまいました。
そして、退職と転職を繰り返すようになりました。
仕事に行こうとしても体が動かず、強い不安に襲われました。
「自分はダメな人間だ」
「生きている価値がない」
「何のためにこんな苦しい思いをして生きているのだろう」
そんな思いが頭の中を埋め尽くし、抑うつ症状がどんどん酷くなり、出勤できなくなりました。
休みの日も気持ちが晴れることはなく、ただひたすら「こんな自分はダメだ」と自分を責め続けていました。

4. うつ症状が悪化し、生きる意味を見失って……
「なぜ生きているのだろう……」
そんな思いが日に日に強くなり、朝起きるたび、夜眠るたびに頭をよぎるようになりました。
そして、それは最悪の結果を招いてしまいました。
「生きているのが辛い、いっそのこと死んでしまおう」
希死念慮が強まり、心が崩壊していくような感覚の中で、私は二度目の自殺未遂をしてしまいました。
その時は本気で「死ねば楽になれる」と思い、ためらいは一切ありませんでした。
遺書を書き、貯金の受取人まで決めていました。
結果として未遂に終わりましたが、その後も生きる意味を見いだせないまま、虚無感の中で過ごしていました。
「生きる意味なんて深く考えない方がいい」と人は言います。
しかし、私は
「生きる意味がなければ生きていたくない」「生きる価値がない」と、
自分を責め続け、苦しみ続けていました。

5. 自分の人生の転機
二度目の自殺未遂をした後、復職してから信頼していた上司に相談することにしました。
上司は「生きてほしいと思う人がこんなにもたくさんいる。でも、辛かったね」と、
私の話をじっくり聞いてくれました。
「死なないで」ではなく、
「辛かったね」という一言で、私は救われた気がしました。
その後、上司は「一度、職場に籍を置くのをやめてみたら? いつでも戻ってきていいから、ゆっくり休みな」と言ってくれました。
退職という形にはなりましたが、いつでも戻れるという安心感がありました。
私は実家に戻り、「私らしい働き方をしよう」と、新しい挑戦を始めることにしました。
そこで、自宅でできる仕事を探し、リモートでのリハビリや不登校の子どもたちの支援に携わる仕事と出会いました。
さらに、現在行っている心理カウンセラーという職にも出会いました。
「人生、何が起きるか分からないものだなぁ」と、今では思っています。
あの時の上司の言葉がなかったら、私は今この仕事をしていなかったかもしれません。
心から感謝しています。
辛い日々の中、友人からは
「もっと自分に優しくなりなよ。完璧すぎるよ」と言われ続けていました。
「楽に生きたほうがいいよ」と何度も言われましたが、私はなかなか実行に移せませんでした。
なんとなく「自分に優しくしよう」と思うことはありましたが、本気で取り組めてはいなかったのです。
そんな中、職場で親身になってくれる人たちと出会いました。
私は仕事を休む時間を無期限で与えられ、「いつでも相談に乗るから」と言ってくれる方々の存在に支えられました。
その中で、自分の本当の気持ち
「もっと生きやすくなりたい」という思いを初めて口にしました。
すると、その方々は私の思いを受け止め、こう言ってくれました。
「本気で自分に優しくなってみたら?」
それは、「優しくなることを頑張る」という、今までとは違う種類の“頑張り方”の提案でした。
私は会社勤めではなく、新しい働き方を選びました。
最初は「一日1時間でもいいから達成感を得よう」と、自分のペースで仕事をすることにしました。
これまでの自分では考えられない選択でしたが、「頑張らなくてもいいんだ」と思えたことで、解放感を得られました。
すると、次第に体調不良はほとんどなくなり、寛解した状態へと向かっていきました。
そして、現在。
私は自宅で仕事をする道を選びました。
過去の自分と似たような経験をしている方、また、仕事や人間関係で生きづらさを感じている方の力になりたいと思い、心理カウンセラーの道を歩んでいます。
最初は「自分に優しくする」「自宅で仕事をする」ことに対し、収入面や将来への不安が大きくのしかかっていました。
しかし、今ではこう思います。
「人生、何度でも巻き返せる」
私はそう実感しながら、今を生きています。

6. カウンセラーとしての想い
世の中には、HSPで悩んでいる方、心の悩み、うつ病やパニック障害、不安障害をはじめ、人間関係や仕事の悩みを感じている方がたくさんいます。
そんな方々の中には、
「うまく伝えられない」
「言葉にできない」
「相談することが難しい」
「話を聞いてもらいたいけど、本当に親身になってくれるのか心配」
「誰にも相談できない」
と感じている方も多いのではないでしょうか。
私は、そんな方々が安心して相談できる場を提供したいと思っています。
気軽に相談したい方も、深い悩みを抱えている方も、
どんなお話でもしっかりと傾聴し、心に寄り添いながら、
少しでも生きづらさが軽くなるようサポートしていきたいと考えています。
私自身、かつては人に相談することができず、一人で悩みを抱えていました。
しかし、寄り添ってくれる人がいたことで、少しずつ自分を開示できるようになりました。
「人生、生きていても何の意味もない」と思っていた私ですが、
今は「同じような苦しみを抱えている人のために生きている」と感じています。
私は、カウンセリングをする上で「相手の考えを押し付けないこと」を大切にしています。
その方のこれまでの生き方を尊重しながら、心のデトックスをして、一緒に考え、伴走していけるカウンセラーでありたいと思っています。
真に心から寄り添うとは、その人の価値観を尊重することから始まるもの。
だからこそ、「まずは傾聴することが第一」だと考えています。
私はアドバイスという言葉をあまり使いたくありませんが、もし伝えるとしたら、/
「もっとこういうふうに気持ちを持ったら、生きやすくなるかもしれませんが、いかがでしょう?」
「徐々に一緒に乗り越えていきましょう」
というように、あくまで寄り添いながら、共に歩む姿勢でお伝えしていきたいと思っています。
私自身、さまざまな辛い経験をしてきましたが、それは決して私だけではありません。
多くの方が、生きることに悩み、苦しみ、葛藤しながら日々を過ごしていると思います。
私は、そんな方々の力になりたい。
心からそう思っています。

7.「一人で抱え込まないで」
過去の私もそうでしたが
うつ病やHSP特有の「頑張りすぎてしまうこと」「些細なことに気にしてしまうこと」「完璧主義なこと」「人の顔色をうかがってしまうこと」
そして「自分に優しくなること」の克服には長い時間がかかりました。
ですが、たった一人の上司に相談し、その方の言葉を受け取ったことで、私は人生を大きく変えることができました。
人それぞれ悩みがあり、生き方も違います。
だからこそ、自分らしく生きることはとても素晴らしく、日々の充実感にもつながっていきます。
そして、覚えておいてほしいことがあります。
「人は、ずっと頑張り続けることはできない」ということ。
ときには立ち止まり、一歩下がって休むことも大切です。
エネルギーが充電できたら、また前に進めばいいのです。
何度後退しても、何度転んでも、起き上がることができれば、それは素晴らしいこと。
私はそれを、「あなたらしい人生を生きるための歩み」と呼びたいと思います。
転んでもいい。
立ち止まってもいい。
一歩下がってもいい。
ただ、大切なのは「起き上がろうとすること」。
でも、いざ「起き上がる」とき、ひとりではとても苦しくて難しいこともあるでしょう。
「誰かの腕にすがりたい」
「抱き上げてほしい」
そう思う瞬間も、きっとあるかもしれません。
そんなときは、私はあなたが起き上がることができるまで、しっかりとサポートします。
今までずっと、一人で頑張ってきたあなた。
誰かに相談すること、頼ること、助けを求めることに罪悪感を抱いていませんか?
でも、それは決して「甘え」ではありません。
誰しも、人は何かに頼りながら生きているものです。
そして、誰かに頼ったからといって、あなたの価値が下がることも、失われることもありません。
でも、それは決して「甘え」ではありません。
誰しも、人は何かに頼りながら生きているものです。
そして、誰かに頼ったからといって、あなたの価値が下がることも、失われることもありません。
生きづらさから解放され、自分らしく生きるために、ぜひ私に相談してください。
私はいつでも、あなたを待っています。
どうか、ひとりで抱え込まないでくださいね。